メンバー紹介

大道武史

大道 武史

医療法人萌生会 大道クリニック 理事長にして当クラブの開設者

仕事とマラソン              

私とマラソンの出会いは、開業1年目の2005年の夏でした。
きっかけは、友人から誘われた神戸アクアスロンというスイム1㎞+ラン10㎞の大会です。大学時代水泳部の私は何の抵抗もなく初の大会に臨みました。10km走の経験はなくとも、問題ないだろうとろくに練習もせずに本番に臨む事となりました。
水泳部としての貯筋もあり、スイムは前半でゴールし、10㎞のランを走り出しましたが、真夏の須磨海岸をスイム1㎞の後に走るには想定外の試練でした。始めの勢いもすぐにばててしまい、5㎞からは走る事も出来ず、歩いたり走ったりの繰り返し。老若男女にもゴボウ抜きされ、ブービー賞に終わってしまうという散々な結果でした。
私はこの屈辱感に我慢できず、“本格的に走ろう”と、開業したてで慣れない業務の合間に時間を作って少しでも走りました。
丁度その頃に東京マラソンが開催され、マラソンブーム沸騰の中、俄然フルマラソンも興味を感じ、『大阪城さくらマラソン』に出場しました。結果は6時間近く要し、生まれたての小鹿のようになり、タクシーで帰宅したのを今でも鮮明に覚えています。
その翌年にTVでサロマウルトラ100㎞マラソンの特集を目にして感動し、このような大会にも出てみたいと思いましたが、透析をメインとしている私は休みが合わず、現実的には無理だろうと諦めていました。ところが大阪で『第1回水都ウルトラマラニック』という100㎞の大会が開催される事になりました。しかも大会日は私の誕生日ではありませんか~!何という運命的な開催だと思い、記憶に残る誕生日にしたいと迷わず申込をしました。ようやくフルマラソンを完歩したばかりの私は、完走出来なくても100分の何㎞走れるかを来年への肥やしにしようと臨みました。それが、火事場のクソ力と言うのか、制限時間15時間のところ14時間59分でゴールする事が出来ました。この感動と達成感は一生忘れられません。
それからはその感動を継続するが如く毎年参戦し、2021年で12回連続100㎞完踏も達成しました。
 
2012年には透析業務に携わっている私が腎臓癌を患い腎臓摘出術をするという人生の悪戯もありましたが『マラソンを走り続ける…』事が、自分の精神的・肉体的な1本の筋となり、仕事への意欲とエネルギーなのは間違いありません。
 
2021年末には走り過ぎて左半月板断裂による修復術施行で8w松葉杖生活も送る事となり、
『走れるって当たり前じゃない…』を身に染みて経験することとなりましたが、現在はリハビリしながら徐々にマラソン生活を取り戻しつつあります。